RE−TAKE 〜after〜 書評

 

1、RE−TAKEafterへと至る世界構造について

2006年夏に完結したエヴァンゲリオン同人誌RE−TAKE。
この物語はアニメのパロディ本という範疇に留まらず、『新世紀エヴァンゲリオン』という作品の本編そのものに相対した作品だった。
劇場版『THE END OF EVANGELION』の最後のシーンを動かす為に創られた物語。
REーTAKE完結編のラストは、本編の最後の絞首シーンという救いのない場面を乗り越え、二人がほんの少し心を重ね合った状態で終わった。
その終わらせ方を、本編の続きであると受け取った読者の方も多いだろう。
しかしながら厳密に記せば、RE−TAKEの作品内容をエヴァ本編の続編とだけ断言するのは難しい。
タイトルにもある通り、あの凄惨な本編内容から救いをREーTAKEする(取り戻す)ことが命題の一つとなっている。
同時にそれをもって本編のラストシーンを動かす。
この二つの命題は不可分であり、双方が揃ってこその作品内容であり、物語が成立する仕組みになっている。
全人類が命の海に還った世界に絶望して、主人公であるシンジが時間を遡る。
そして同じ結末を迎えないために奮戦する様を、エヴァンゲリオン二次創作界においてはいわゆる『逆行もの』という一ジャンルとして認識している。
主人公がある日目覚めると、時間が遡り過去の世界へと戻っていた―――この話のスタイル自体は、映画、漫画、ドラマなどでそう珍しいものではない。
一般的にも古典SFでケン・グリムウッド作『リプレイ』などが有名だ。
このジャンルの面白さは、逆行した主人公がある程度の経験と知識を所持しているので、二度目の人生で繰り返される問題に、何らかの対処が可能となっていることである。
既に結末を知っているからこそ、時には鮮やかに、時には見苦しいまでに足掻いて克服する。
読者がそこに知的興奮を覚えるのは、人間誰しも「あの時こうしていれば」というやりなおし願望と悔いがあるからに他ならない。
実際にあり得ないフィクションと知りつつ、主人公に自分を重ねるのだ。

もっともRE−TAKEという作品の内容は単なる逆行現象に留まらなかった。
シンジはいうに及ばず、アスカまで逆行しており、二人に対し凄まじいまでの試練が課せられていたのは、REーTAKE読者の方にとって既知のことだと思う。
しかも作品内では、シンジが逆行したと思った世界は本編そのものではなく、実は彼の構築した虚構世界の一つに過ぎなかったと明示されている。
言うなれば、RE−TAKEという作品自体、エヴァ劇場版本編ラストシーンの直後のシンジとアスカの見た夢、と表現して然るべきものなのである。
その夢の中でお互いの気持ちと過ちに気づき乗り越えて、その果てに劇場版ラストシーンが動き出す。
RE−TAKE完結編において描かれた物語を、やや乱暴ながら要約すればこうなる。
そして、本来夢の世界はそこで消えてなくなる。RE−TAKE作品内で幾度も言及されているが、あくまで虚構世界の一つなのだから。
シンジが数多くの虚構世界を創出したことはRE−TAKE完結編でEOEアスカが明言している。
それらの多くの世界は、それぞれが様々な結末を迎えている。
舞台は本編世界に留まらない。RE−TAKEに見られた本編に類似した世界であったり、全くの異世界であったり、時間軸も人間関係だって定かではない。
それでも、その多くの世界の時間は流れて、終わりへ至れる物語ばかりなのである。

RE−TAKEの舞台となった本編に酷似した世界も、本来であればなんらかの結末を経て終わっている世界の一つに過ぎなかった。
だが、この世界だけは永遠にループするという特殊性を持っていたため結末を迎えられず、それを俯瞰する立場になったEOEアスカを辟易させることになる。
言い換えればその特殊性ゆえに舞台となったこの世界は、ループの頸木から解き放たれて初めて一つの虚構世界として正常な時を刻み始めた。
しかし、RE−TAKE本編においてはそのことを示唆するだけに留まり、正常の時間を取り戻した平行世界の続きが描かれることはなかった。
作品的にも、この平行世界は、本編の二人を成長させるための舞台装置であったことを明確にするためだろう。
翻って、RE−TAKEafterという物語は、純然たるRE−TAKE本編の続きである。決してエヴァ本編の続きとはなり得ない。
エヴァ本編に対して密接に関係していたRE−TAKEに比べ、このafterはRE−TAKEこそを本編に位置づけている作品となる。
RE−TAKEを二次創作とすれば、afterは三次創作と見なすことが出来るのだ。(この表現が適切であるかどうかは置いておいて)

とにかく、ここに三つの世界があると理解して頂きたい。

一つはエヴァンゲリオンの本編世界
一つは本編世界への舞台装置となったループする虚構世界(これをRE−TAKE世界と仮称)
一つはループの頸木から解き放たれた虚構世界(REーTAKEafterの世界、アフター世界と仮称)

上から順に、それぞれが下の世界を内包していく三層構造になっている。
RE−TAKEシリーズは上記の二つの世界を又にかけて展開された物語だ。
アフターは、RE−TAKEシリーズから派生した物語となる。
間にRE−TAKE世界を挟むアフター世界は、本編世界との関連が希薄になるのは仕方のないことなのである。

 

 

 

2、RE−TAKEafterの世界観について

今作は、前述したREーTAKE世界の時間が動き出したその後の物語だ。
この世界で奮戦したEOEアスカと逆行シンジのパーソナリティは消失している。
しかしながら、彼らの残したものも確かに存在する。
これこそが、シンジが生み出したその他多数の虚構世界と異なる点であり、単なる平行世界ではない証左といえる。
またこの世界は、REーTAKE完結編でEOEアスカが使徒シンジへと指し示した可能性の世界とも類似点がある。(ゼーレ残党がギアナ高地にいるあたりとか)
このことも含め、EOEアスカと使徒シンジの二人が消えた直後を起点として、その後の世界展開は同様と判断していいのかも知れない。
当たり前だが、二人が消える以前のRE−TAKE作中の展開は改変されていない。

アフター世界のシンジは、REーTAKE第一巻で病院のベッドで目覚める前までの記憶しかない。
エヴァ本編におけるレリエル戦でディラックの海に飲み込まれて死の恐怖に晒された頃までしか覚えていない。
RE−TAKE1巻の冒頭で病院のベッド目を覚ましたと同時に、使徒シンジと入れ替わりで別の次元へと格納されたようなものだ。
その間の『碇シンジ』としての肉体と意思は使徒シンジ単一でしか存在しない。
彼の消失とともに戻ってきた正真正銘の『碇シンジ』は、何も覚えているはずがないのだ。

アスカにしてみれば多少事情が異なる。彼女の場合は、紛れもない彼女自身の意思でシンジと添い遂げようとした。
肉体的にも妊娠したという立派な証拠が残っているし、彼女の場合、EOEアスカと二つの意思が同一世界に存在していた。
が、シンジとの蜜月と別離に至る記憶は綺麗さっぱり無くなってる。
彼女の記憶も、おそらくRE−TAKE1巻の冒頭でシンジが目を覚ます直前まで消失している。
神を名乗る少女が完結編に於いて「借りていたものを返す」といった描写があったが、それは純然たる心だけであったと思われる。
もしかしたら、アスカの失った記憶は、あの神の少女が力を行使するための何らかの代償として消費されたのかも知れないが、推測の域を出ない。

以上のようにREーTAKE世界における二人のそれぞれの記憶は、EOEアスカと使徒シンジの消失に同調して消えてしまっている。
しかし、周囲の記憶は残されたままだ。行動の結果もしっかりと記されている。
そんな中での二人の混乱ぷりはRE−TAKE完結編に於いても描写されており、アフターではそれがより浮き彫りにされている。

 

 

 

3、after世界の物語の展開性について

アフター世界で展開して結末を迎えたシンジとアスカの物語。
今作は、実にRE−TAKE本編の流れと類似した構造で語られている。
もちろん世界設定は異なっている。
重なるのは、RE−TAKEのメインテーマでもある二人の心の軌跡だ。

after世界の冒頭における二人の確執。
自分が使徒や量産機を壊滅させ世界を救ったと教えられてもさっぱり覚えのないシンジが描かれている。
これはその間の、いわゆるRE−TAKE世界上で展開されていた間の記憶がないのだから仕方ない。
その時の活躍を聞かされても、自分ではなく別人の事のように思えて仕方ないとafter作中でも吐露している。
彼の言は半ば事実のようなもので、RE−TAKE世界で活躍したシンジは、アフター世界のシンジと比して別人と断じても良い。
アフター13ページでレイが口にしている通り、記憶を失ったというよりそのことを知らない、つまりは関与していないのだから。
ゆえに、アスカと結婚しようとしたことや、ましてや彼女を孕ませたことなども一切合切を覚えていない。
ら戸惑うのも無理はない。
また、このシンジ自身、自覚がないまま、その責任を認めることも受け止めることもできない。
いや、シンジにとってはまさに夢の出来事を責められるのにも似て、現実として肯定しきれないのだろう。
他人の言に左右され自分の意見を持たない優柔不断な様子で描かれている。
転じて、これはいわゆるエヴァ本編の頃の彼そのままとも言える。

アスカもシンジと似たようなものだ。
自身がシンジと結婚しようとしたなんて記憶もない。
しかし、結婚式招待状という物証は残っている。更に、自分が一度は受胎したという肉体的な事実が、彼女にシンジと同様の無自覚を許さない。
よって彼女の場合、シンジに対する感情は本編の頃より複雑なものになっている。
恋愛感情なんか持ってないと思ってたのに、目の前の男と結婚しようとした自分。愛し合い子供を作ったという事実。
アスカ自身無自覚でいられないゆえに、シンジになんらかのリアクションを期待していた。
互いに記憶を失っているとはいえ、彼だけが過去を共有する唯一の存在なのだから。

しかし、この期に及んでシンジの態度は優柔不断な上、ひたすら不安定なものだった。
アスカはシンジに鉄拳を見舞うことになる。
直後にアスカが見せた涙の意味は複雑なものだ。
シンジの認識する責任とは、アスカを妊娠させたことにその大部分が由来している。
妊娠させたら責任をとって結婚しなければならない。例え酔っぱらった勢いや一夜の過ちの結果だとしても―――俗に巷間に流布している話である。
この時のシンジの考えている責任とはこれらに類するものではなかったろうか。
おまけに、どこか他人事のような素振りも見せている。そこには愛情も類似した感情も存在しない。もしくは希薄だ。
また、過ちを犯したから償うという意識が突出している。もはや責任を果たすというより義務的な意味合いも濃い。
ゆえにアスカはシンジを殴り飛ばすしかなかった。
彼女が微かでも期待していたのは、シンジが本心を持って、出来れば恋愛的な感情も伴って相対してくれること。
アスカが望むものは、絶対的に揺らぐことのない本心からの言葉なのだから。
これはRE−TAKE一巻における告白シーンでも示されている。
本心が伴ってないのに、してしまったから責任を取るなどと言われても、それはもはや彼女にとっての侮辱でしかない。
また、シンジに背を向けてからの捨て台詞にも注目したい。

「でも私、リツコに頼んで体元に戻してもらったから、もうそんな責任感じなくていいわよ」

台詞通りに解釈すれば、リツコらの処置により妊娠前の身体に戻して貰ったのだろう。
注目すべきは、この場面でこの台詞を口にしたことだ。
今作の冒頭でもシンジは殴り飛ばされている。
アスカがドイツに帰るといわれて引き留めた際、「皆が責任を取れというから」などと口走ったのがその理由だ。
他人に理由を求める態度に、シンジの主体性は薄い。アスカが激昂したのも頷ける。
繰り返すが、彼女が欲したのはシンジの心からの言葉だ。本心だ。
本来、今のアスカにとって妊娠や結婚など、どうでもいいことでしかない。
単にシンジが本当に心の奥底から行かないで欲しいと懇願してくれればそれで良かったのだ。
ところがシンジは、目前の責任の所在ばかり気にしており、根本的な二人の関係のことが頭にない。

要は、二人とも拘っている場所が違ったのである。もしくはボタンの掛け違いと評してもいいのかも知れない。
アスカは、妊娠とか結婚式を挙げようとかしたのとかは脇に置いておいて、本来のシンジの心が知りたかった。
シンジは、とにかく自分がしたらしいことの責任を取ることしか念頭になかった。

結局二度も裏切られた形になったアスカは背を向けるしかない。
しかしながら、このような捨て台詞を口にしてしまったのは、おそらく彼女自身気づいていないだろうが二重の意味がある。

一つは、本当にもう全てはなかったことになっているのと同様だから責任を感じることはない、というシンジに対する許容の意味。
嫌味的なものも多分に含んでいるものの、これは彼女なりの優しさの表れとも取れる。
なぜならこれは敢えてこの場で告げる必要もないことだ。告げなければ何時までもこの責任はシンジの心に棘として残る。
ついに自分を理解してくれなかった冴えない男に対する仕返しというなら、これ以上のものはない。

もう一つの意味としては、シンジがどうして殴られたかに対する迂遠な解答だ。
同時にこれは、アスカ自身が意識してないにせよ期待の表れでもある。
どうかシンジに解答に気づいて欲しい。本当は引き留めて欲しい。
実に、この時点で既に体を治してもらっていることも考えれば意味深い。
シンジに対し、アンタは端から責任を負う必要はないと暗に示しているとも受け取れるのではないだろうか。
もちろんそれを素直に口にするのは、彼女のプライドが許しはしないのだ。

そしてそのプライドゆえ、彼女はドイツへの帰還命令に従わなければならなくなる。
なぜなら、エヴァンゲリオンパイロットセカンドチルドレンとして、彼女は自分のアイデンティティを確立しているからである。
それを放棄することは、自分の存在意義を無くすことに等しい。
本当はアスカは日本を離れたくなかった。
その本心を加持にだけ垣間見せたのは、一種の父性に対する甘えだろう。
リツコのような母性に甘えられないのは幼少期のトラウマのせいだろうか。

シンジには最後の最後まで期待していた。
そんなアスカは、空港へ向かう道すがら己が感情を自覚する。
何気ない日常の繰り返しで、確かに私の心は癒されていた。家族というものの存在を感じていた。
そして自分の心は、いつの間にか碇シンジという少年へ向けられていた―――。

「私………超喜んでいる――――」

全てを賭けて自分を引き留めにきたシンジの姿。
勇気を振り絞り未来へ踏み出した少年の姿を、その時少女は確かに見た。
同時に彼女自身も気づく。やはり自分もシンジのことが好きであるということに。
しかし、アスカは零れるばかりの嬉しさの影で気づいてしまった。
さしのべられるシンジの手を握りたいと思うほど、自分が弱い存在になってしまっていることに。

惣流・アスカ・ラングレーはエヴァンゲリオンパイロットでセカンドチルドレンでなければならない。
エヴァンゲリオンパイロットは、選ばれた優秀な人間にしか務まらない。
惣流・アスカ・ラングレーは選ばれたエリートなのだ。
ゆえに惣流・アスカ・ラングレーは、聡明で強い人間であらねばならない。
なぜなら人類を護るエリートなのだから―――。

なのに、シンジに縋りたいと思う弱い自分は、果たして惣流・アスカ・ラングレーと言えるのだろうか?
そして、シンジが愛したのは、こんな弱い私ではなく、強くて輝いていた昔の惣流・アスカ・ラングレーではないのだろうか?

この時、またもや心情的なボタンの掛け違いというものが生じている。
シンジは、記憶にない自分もなにもかも受け入れて、素直な今の自分の気持ちに従っている。
対してアスカは、自分が失われた記憶の期間の中で変質してしまったと思いこんでいる。
二人とも、気持ちの持ち方が違うだけで、その本質は同じなのに。

この事にアスカは気づかない。そのまま彼女はパラドックスに陥ってしまった。
シンジを受け入れようと考える弱い自分は、シンジが好きな強い惣流・アスカ・ラングレーではなくなってしまっているという矛盾。

僅かな逡巡の果て、アスカは一方的に決断を下す。
一見矛盾するようだが、それは、彼女の惣流・アスカ・ラングレーとしての最後のプライド。
私は惣流・アスカ・ラングレーだったものの残骸に過ぎない。
ゆえに消えなければならない。別れなければならない。
シンジが愛した惣流・アスカ・ラングレーと、今の私は違う存在なのだから。
ここで笑顔で別れれば、少なくともシンジの中には私は以前の惣流・アスカ・ラングレーだったころの、コイツが好きになったころの私だけが、いつまでも燦然と残るだろうから。
その記憶と想いだけは、決して冒涜してはならない―――。

極めて一方的な思いこみと、相手に対するその享受の仕方。
この構図は、以前に描かれたことはないだろうか?

そう、RE−TAKE完結編において、EOEアスカが初号機のコックピットで使徒シンジに許しを与えた場面―――もう一つの可能性の世界をもたらした一連の場面。
あの流れと酷似しているのである。

そして、その後の展開もまた完結編に準じている。
シンジを拒絶し、ドイツに戻って三ヶ月後。
退屈だけど、平和ともいえる世界。
そんな怠惰で穏やかな日常の中、アスカは日本にいた頃の継母とのメールのやりとりを見て、記憶にない自分の変遷の過程を知る。
そこに克明に綴られる自身の心境の変化。
その時の記憶こそ甦らなかったけれど、アスカは知る。

私だけを心の底から求めてくれる相手がいた。
私が私らしく存在できた場所があった。
幼いころから私がひたすら欲してきた安息があった。

私は確かに其処に辿り着いていた。
私がその全てを手に入れていた。

私は決して弱くなったわけじゃない。
この記憶を綴ったのは、私と同じ名前の別人なんかじゃない。
紛れもなく私だ。惣流・アスカ・ラングレーだ。
弱くなったと思った私は、ただ優しさに触れて変わっただけだったんだ…!

なのに、私はそれを捨ててきてしまった。
私が作り上げて積み上げてきたものを手放してきてしまった―――。

とりとめもなく涙をこぼしながらアスカは頭を抱える。
もはや取り返しはつかない? 否、まだ間に合う。
勇気をもって踏みだしさえすれば―――。

この構図も、RE−TAKE完結編において、使徒シンジが与えられた夢の世界を拒絶した時と酷似している。
そしてまたしても結果は完結編に準じた。
アスカが扉を開けたすぐそこに、シンジはいたのだから。

訪ねてきてくれた嬉しさを押し隠し、ここでも変に意地を張って嘘八百を並べ立てるアスカ。
そんな彼女の手に指輪をはめるシンジ。
驚くままに手をかざすアスカは、既視感に襲われる。
奇しくもそれはRE−TAKE二巻で描かれたシーン。
二巻におけるそのシーンの台詞を引用してみよう。

「あいつに…大事なものもらい…」 「忘れてんじゃ…ない」

アフター世界において、大事なものは確かにアスカの手元へと戻ってきたのだ。
或いは、RE−TAKE世界の彼女は、あの瞬間に全て悟っていたのかも知れない。
自分が確かにシンジから大切なものを(指輪)を貰っていたことを。
そしてそれを忘れていたことを。
RE−TAKE世界のアスカとアフター世界のアスカの二人の心が、時空を越えて重なった瞬間である。

その既視感がトリガーになったのか。
決して記憶は戻ってきたわけではないけれど、彼女の胸に甦る、遠い温かい想い。
もはや彼女に意地を張る必要はなかった。それでも、全てドイツ語で告げたのは、彼女なりの最後のイチジクの葉であったのかも知れない。
アスカがドイツ語でシンジに告げた台詞も、RE−TAKE一巻におけるアスカが裸で抱きついた時の告白とほぼ同じ内容だ。
もっとも今回は、アスカがシンジへ強要して誓わせるのではなく、彼女自身が自分へ課せたもの。
どちらにしろアフター世界のアスカは、こうして記憶を失う以前の、RE−TAKE世界の自分と同じ場所に立てたのである。

 

 

 

4、RE−TAKEにおける二人がもたらしたもの

RE−TAKEという物語の主役は、間違いなくEOEアスカと使徒シンジの二人である。
それぞれが自分の過ちと未来の可能性に気づき、ともに歩み出すことによってエヴァ本編のラストシーンを動かす。
気の遠くなるような世界を繰り返し、ようやく本編世界への干渉を果たした話と形容することも出来る。
では、消えた彼ら二人が、アフター世界へどのような影響をもたらしたのだろうか?
一見、アフター世界へはそのような具体的な影響は見られない。後日談として綺麗にまとまっているように受け取れる。
しかし、RE−TAKE完結編において使徒シンジの垣間見た夢の世界と対比すると、幾つかの違いが浮き彫りになってくる。

一つにミサトの心境の変化がある。

夢の世界でもアフター世界でもゼーレ残党がギアナ高地へ存在し、国連軍として加持が赴く。
そこにミサトも随伴し、二人が結婚を果たしたのも同様だ。
だが、その過程に大きな違いが生じている。

夢の世界におけるミサトは、シンジに対し私達は幸せになる資格がない、という。
しかしシンジに許され、加持を追いかけて想いを遂げることとなる。

対してアフター世界のミサトはより積極的だ。
自ら加持と一緒にギアナ高地へ赴くことをシンジに告げ、帰ってきたら結婚すると宣言している。

この変化の原因は、まさしく消えた使徒シンジの活躍にある。
アフター34ページでミサトがシンジの両頬をつかみこんで力説している通りだ。
これこそが、アフター世界へRE−TAKE世界がもたらした作用の一つといえるのではないだろうか。

更にもう一つ。
夢の世界におけるアスカは、一旦戦死扱いに加え心を喰われていたのでドイツへ帰国する義務を課せられることはなかった。
アフター世界におけるアスカは、心を回復していたゆえドイツへ帰国しなければならない。
皮肉であるが、これも紛れないRE−TAKE世界がもたらした変化の一環である。

 

 

 

5、碇ゲンドウの行動と業について

エヴァ本編における碇ゲンドウの性格と行動を今さらながら分析すれば、冷酷なまでの利己主義者であったことが上げられる。
亡妻のユイと再会することだけを念頭にゼーレの計画すら利用、あまつさえ血肉を分けた息子さえ道具としか見なしていなかった。
しかしながら人間性という面から鑑みた場合、エヴァ本編で彼ほど人間らしい存在もいない。
個人としての愛情の欲求、充足のみを求め、生物本能である種の存続すら足蹴にする。このような行為は、人間以外の生物は持ち合わせていない。
その為に実の息子すら歯牙にかけない様は、人間という生き物のもつ歪さと理性の異常さを如実に表しているといえる。
反面、RE−TAKEシリーズ、特に完結編におけるゲンドウの行動はどう評価するべきか?
初号機の援護へ向かうレイと零号機の為、自らの危険も省みず、武器庫へ超陽電子砲のロック解除に赴いたゲンドウ。
彼の設定した『未来』という解除パスコードに、このときの碇ゲンドウ個人の心情の全てが委ねられている。
全ては息子とこれからの世界の為に。
少なくともこの場面に挑んだゲンドウの脳裏には、人類の種の存続という本能的かつ大局的な意識は存在しない。
彼が案じたのは、息子と、精々彼の目の届く範囲の人間でしかなかったのだから。
よって、この期に及んでの彼の行動も私的なものといえるのかも知れない。
或いは贖罪であったのかとも。

エヴァ本編ではひたすら利己的で傲岸な振る舞い。RE−TAKEシリーズでは自己犠牲と父性の発露。
本編では悪で、RE−TAKE世界では正義。
単純にこう分類すればより分かりやすいかも知れない。
ここで重要なのは、どちらも人間という生物のみが恣意的に可能な、本能を凌駕する行為に他ならないことである。
善悪の違いはあれど、人間であるがゆえの、より人間らしい行為。
結局のところ、碇ゲンドウとは、人間性の両極にあった人物ではないだろうか。

しかしながら、エヴァ本編、RE−TAKEシリーズ双方で、碇ゲンドウのみが具体的な死を迎えていることは興味深い。
エヴァ本編、劇場版におけるゲンドウは、人類補完計画が発動して人々が根こそぎ命の海に還る中、ただ一人、初号機に囓られるというシーンでその死が表現されている。
RE−TAKEの世界でも死を迎えたのは前述した通りだ。
そもそもエヴァ本編に比してRE−TAKE世界ではより多くの登場人物が命を救っている。
全てはEOEアスカと使徒シンジの奮戦による世界の改編の結果といえる。
鈴原トウジを始め加持リョウジともに命を救い、さらに戦自の本部進行の際も防御設備を増設して人的被害を最少に抑える努力がなされている。
本編と対照的な展開を迎えている世界といっていいだろう。
なのになぜ、その改編された世界でもゲンドウのみが死亡したのだろうか?

それは、エヴァ本編中において、彼のみが人を殺したという描写が具体的に提示されていたからではないだろうか。
赤木ナオコの死。
彼女の死に関して、ゲンドウは直接的にこそ手は染めてはいない。
しかし彼女を利用した挙げ句疎んでいた彼が、迂遠な手段を取ったらしいことが描写されている。
幼少体のレイからゲンドウの心情を告げられたナオコは発作的に少女を殺害。直後投身自殺を遂げる。
間接的にせよ、ゲンドウが彼女を死に追いやったのは間違いない。
有り体にいえば痴情のもつれの果てともいえるだろう。
なんにせよ、陰湿陰謀な政治レベルとはまた違って卑近な話ではある。下世話かつ異質で業が深い。
そしてこの事は、本編世界ではもとより改変されたRE−TAKEの世界でも贖罪仕切れないものだったのではないか。
業を背負ったまま幸せになれはしない。
それは、とりもなおさず虚構世界へと逆行してきたEOEアスカと使徒シンジに課せられたものと同じ命題だ。
幸い二人はそれを乗り越えたが、ゲンドウにその術が与えられていない。
ゲンドウ自身、過去に戻ってやり直すことでしか、赤木ナオコを救えず、その業を消せない。
そしてそれは不可能ごとなのだ。
いうなれば、エヴァの主要人物で、ゲンドウのみが幸せを享受する『資格』を所持していなかったのではないだろうか。
例えそれが改変された世界だとしても、彼のみが許されることはなかった。
それゆえに、ゲンドウは死なねばならなかったのではないかと推測する次第である。

*むろん、作品中では描かれていないが、エヴァ本編内においてより多くの人が死んでいるという推測が成り立つ。
しかしながら、作中の登場人物による同じく登場人物の具体的な『人間の殺害』が描かれたのはこの一点だけである。
ゆえにゲンドウが業の深いキャラに見えるという説明は、物語的というより、エヴァンゲリオンという作品の演出的な問題ではないかということも付記しておく。

 

 

 

6、アスカの投げ捨てたパンについて

わざわざバイトでお金を貯めて指輪を買ってドイツまで来たシンジに対し、アスカはドイツ語で愛を告白。
更に押し倒すという破廉恥な(笑)行動にでる。
この時点で彼女は記憶こそ取り戻していないけれど、それでもなにかしらの記憶の残滓に触れた。
それを切っ掛けに彼女の抑えがたい衝動が噴きだした結果が、押し倒しての熱烈なキスだったわけである。

さて、押し倒し押し倒された彼らの傍らには、先ほどアスカが窓から投げ捨てたパンがあった。
このパンにも実に様々な意味が込められているようで非常に興味深い。

第一に、人はパンのみで生きるにあらず、という解釈。
その隣に、いままさしく愛を貪りあっている二人がいるのだから、極めて対照的な構図といえる。

そして、その傍らに来る一匹の犬の存在。
パンをくわえるこの犬を読み手側として捉えた場合も、解釈が成り立つ。
すなわち、『パン=RE−TAKEafterという物語』である。
読み手が目前に提示された結末。
この結末を満足いくものとして平らげるか、それとも捨て去るか。
エヴァンゲリオンという作品の一つの理想的な結末として受け入れられるか否か。
このシーンをもって、きみまる氏が読者に問うている、と見なすことも可能なのだ。

更に蛇足的にもう一つ。
背中に雪が積もる様からして、二人が長いキスを交わしているのは明白である。
それを、口にパンをくわえたまま、その場で食べることもせずに見守る犬。
夫婦ゲンカ(ノロケ?)は犬も食わない、と受け取ることもできるのではないだろうか。

 

 

 

7、目を覚ました二人の娘について

ラストシーンで目を覚ました女の子。
RE−TAKE世界の中で姿を見せた、神を名乗る少女。
その正体はシンジとアスカの二人の子供であり、同時にシンジが思い描く幸せのヴィジョンの象徴だった。
虚構世界の根元にたゆたう概念的なもの。求めて得られるはずのない理想。
ゆえに、彼女が本当に二人の子供として産まれてくることは不可能なはずだった。
仮に二人が結ばれて子を成しても、女の子が生まれることが約束されているわけではない。
仮に女の子だとしても、RE−TAKE世界と同様の容姿を持って産まれくる保証もなかった。
しかし、少女は紛れもなくあの世界と同じ形で、二人の子供として生を得た。
そして折しも日付は奇蹟の舞い降りる聖なる夜。
奇蹟の世界に更に奇蹟が重ねられたことになる。

ところで、ここでRE−TAKEの世界構造を思い出して頂きたい。
それぞれが内包されていく三層構造の世界。
彼女はどの世界で生を受け目を覚ましたのかが重要になる。
つまり、彼女がアフターの世界ではなく、いわゆるRE−TAKEの世界で生を受けた可能性も存在するのだ。

RE−TAKE完結編で浜辺で眠る二人が、人類補完計画は一度は発動したその後の世界で、愛を育み子をなしたとする。
その世界で昼寝から目覚めて口にした少女の台詞とその場面をラストシーンとするなら。
いわゆるアフター世界は全て少女の見た夢と見なすことが出来る。
すなわち『夢オチ』だ。

このように三層構造を上の階層から俯瞰することにより夢オチが成り立つ。
更にもう一段階。
いや、これらエヴァ本編すら俯瞰したとしたしよう。
エヴァンゲリオンという作品も含めてRE−TAKEで描かれたこと全て、少女がうたた寝に見た夢とみなすことも可能になるのである。

もっともこれは邪推といってもいいものだ。
壁に掛けられた『惣流・アスカ・ラングレーさんへ』とある寄せ書きの存在が、少女の生きている世界を説明している。
ここは素直に、アフターの世界で奇蹟の子供が誕生し、みな幸せに暮らしていると解釈するべきだろう。

 

 

 

8、最後に

2006年夏に発表されたRE−TAKE四巻は完結編と銘打たれ、確かにその物語も完結した。
印象深いラストシーンはエヴァンゲリオン本編に対する挑戦とその結果だった。
ゆえにafterはRE−TAKEという物語から派生した世界の後日談。
RE−TAKE四部作がエヴァ本編への挑戦であるとすれば、今回のafterはRE−TAKEファンに贈るプレゼント。
そう受け取り、そう読み取った方も多いと思う。
しかしながら一筋縄ではいかない内容が盛り込まれていたのは前述した通りである。
話の展開の類似点や影響、after98ページにおけるアスカが手をかざすシーン。
特にこのシーンを見る限り、RE−TAKE二巻目の時点で、きみまる氏の中にafterまで含めた話の構想があったに違いない。
その壮大な構成力には、もはや脱帽するしかない。
つまるところ、このafterという物語は、RE−TAKEとは不可分なのだ。
このafterも含めて、紛れもなくRE−TAKEという作品は、ここに完結したのである。